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≪与謝野町郷土芸能祭のご紹介≫  報告者 与謝野町担当委員 岡本 道子

今から11年前(平成18年)、3町(加悦町、岩滝町、野田川町)合併により与謝野町は誕生しました。
現在人口2万2千人余りの小さな町ですが、大江山から流れる野田川が豊かな自然を育んでいます。
平成29年3月19日、合併10周年記念事業の棹尾(とうび)を飾る行事として、与謝野町郷土芸能祭が催されました。大名行列、神楽、太刀振り等の保存会の披露があり、伝統芸能への誇りと郷土愛を感じるものとなりました。

与謝野町を流れる野田川は永い年月をかけ大量の砂を運び天の橋立を作りました。
国立競技場を設計したことで知られる隈研吾さんは、今回与謝野町のブランド戦略事業に関わっていますが、「陸地と同じ目線で海が広がる。沖には穏やかな海を守る天の橋立があり、後ろには起伏のある山が連なる。こんなユニークな海辺の街は世界中を探してもそう多くない」と言われました。
天の橋立に守られた穏やかな海「海の京都」へ皆さん出掛けませんか?


≪与謝野町の文化財≫  行政相談委員:与謝野町担当 今川孝男
与謝野町(よさのちょう)は、京都府北部の与謝郡にある町です。2006年3月、与謝郡の加悦町・岩滝町・野田川町の3町が合併して誕生しました。
今回は、与謝野町の文化財を4つ、みなさまにご紹介したいと思います。

 ①ガラス釧(ガラスの腕輪)

 ガラス釧(くしろ)は、与謝野町岩滝の阿蘇海と天橋立を見下ろす高台に作られた弥生時代後期の墳墓から出土したものです。鮮やかなコバルトブルーのガラスの腕輪が完全な形で出土したのは国内で初めてと言われています。
 奈良国立文化財研究所の成分分析によれば、中国産のカリガラス製である可能性が高いことがわかりました。その他にも銅釧13・ガラス勾玉6・管玉363・鉄剣15・鉄鏃など当時の貴重品が多数埋葬されていました。当地方には、古代から日本海ルートで大陸と交流する強大な力を持った集団が存在していたことがうかがえます。

 ②123号機関車(日本の鉄道史を物語る近代化遺産)

 123号機関車は、明治7年の大阪~神戸間の鉄道開業にあわせて輸入された蒸気機関車の内の1両です。
 イギリスのロバート・スチーブンソン社が明治6年に製造した車両で明治42年まで京阪神間を運行していましたが大正15年加悦鉄道の開業にあわせて譲渡されました。
 加悦鉄道は、旧国鉄宮津線舞鶴~峰山間が大正14年に開通したのにあわせ丹後山田駅~加悦駅間が開通しました。待ちに待った当地方の住民は、沸き返るようなお祭り騒ぎになったと言われています。

ガラス釧(国指定重要文化財)

ガラス釧(国指定重要文化財)

123号機関車(国指定重要文化財)

123号機関車(国指定重要文化財)

 

③方士求不死薬図六曲屏風(与謝蕪村が丹後時代に書いた屏風)

与謝蕪村は、宝暦4年~7年の間の3年程を宮津の見性寺で過ごしました。宮津滞在中に多くの屏風絵などを描いたと言われています。
この屏風絵は、徐福が、秦の始皇帝の不老不死の薬を求めるための命を受け丹後の新井崎(伊根町)に漂着したという伝説に基づいて描かれています。

写真下は、徐福とそれに従う二人の童子、
写真上は、隠士と木にもたれて眠る童子です。

(国指定重要文化財)
(国指定重要文化財)
 ④木造女神坐像2躯(板列八幡神社に伝わる平安時代の女神像)

板列八幡神社は、平安時代中期の創建で、現在の社殿は天保5年(1834年)に再建されたもので神明造りになっています。境内は、阿蘇海を見下ろす緑に囲まれた小高い丘の上にあります。
祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)。 社宝の木造女神坐像2躯は、1木造りで1躯は応神天皇の妃仲津姫で、1躯は応神天皇の母君にあたる神功皇后の像で40㎝程の小像ですが充分な量感があります。
頬の表現も仲津姫の方がふっくらしていますし、肩の線も仲津姫の方がまろやかな感じがします。これらの相違は云うまでもなく像主の年齢の違いによるものでしょう。端麗な造りで素朴な面立ちの中にも気品を漂わせる優美な表情を浮かべていて製作年代は平安時代藤原期のものとされています。


(参考資料)
岩滝町誌、加悦町史、宮津市史、岩滝町文化財調査報告書第15集、与謝野町の指定文化財、前ヤマトを創った大丹波王国(伴とし子著)
板列八幡神社

板列八幡神社
仲津姫(左)、息長足姫(右)(国指定重要文化財)

仲津姫(左)、息長足姫(右) (国指定重要文化財)